実家を売却するのは酷いこと?

親世代の高齢化や、相続などに伴い、誰も住まなくなった実家が空き家となった時、今後使わないからといって、これまでの思い出の詰まった家をすぐに手放すという選択はなかなか難しいものがあります。家を手放す事で、なにか思い出まで消えてしまうような気がするのかもしれません。また、親族が集まる場所が無くなってしまうと危惧される方もいるでしょう。そしてこれらの気持ちに整理がついたとしても、いざ売却しようと決心した時に当事者ではない親族間などの周りから反対される事もあります。やはり実家を売却することには心の壁がいくつもある様に思います。

では、実家を売却することは酷い事なのでしょうか。

ひと昔前、実家は長男が代々受け継ぐものとしての認識が一般的であった様に思います。私自身、田舎の長男坊でしたから「将来、この家を継ぐのは私なのだ。」との認識がはっきりとありました。事実、私の親世代ではそうした認識が強く残る世代であったのだと思います。私は生まれ育った福島市で暮らしておりますから、将来的には実家へ戻るのだろうと朧げながら思っています。しかし、もし私が他県で生活基盤を持っていたとしたら、まず戻ってくる事は難しいでしょう。

平成22年国勢調査の統計を見ても、福島県で親と同居している夫婦世帯は全体の13%程度しかいません。(上記、国勢調査より作成したグラフ参照)親と同居しているのは10人に1人という事です。これは実家を受け継ぐ事が常識だった時代から、核家族として別に生計を持つ事が常識、と変化した事の表れだと思います。「夫婦と子」単位で生活を考える時代なのだと思います。そういった意味で考えると、「実家」の存在は親が住まなくなった時点で、ある意味、役目を終えているのかもしれません。

過去の時代、実家を処分するなんてそれこそ「酷いこと」だったのだと思います。当時の常識で考えれば世間体の悪い事だったのだろうと思います。しかし、今の時代は循環させない事の方が地域にとって「酷いこと」になりうるのではないかと思います。「実家」は管理されなければ加速度的に老朽化し、地域に迷惑をかける事となり、また管理にも費用と手間がかかります。地域に対して適正な管理が出来ない場合にはやはり処分する事が正しいのだと思います。処分する事は地域にとって新しい住み手を生み出す事でもあります。思い出を大切にされる事はもちろんとても素敵な事ですが同時に家はやはり人が住んでこその家なのだと思うのです。団塊の世代の相続、2020年以降の超高齢化社会による「家余り」の時代を見据え、地域にとっての「家」という見方も重要だと思うのです。

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