不動産業への入り口。

「丹治さんはお若いの社長さんなのですね。」売却のご相談を受けている際によくお客様にいただく言葉です。私は今年で31歳になります。見渡してみれば確かに、福島市において30代の不動産業者や営業マンはほとんどいません。これが20代となると片手に収まるほどしかいないかもしれません。

不動産業というと、なんとなくおじさんが営んでいるイメージがありますが、それはあながち外れていません。恐らく平均年齢は50代後半といったところでしょうか。非常に年齢層が高い業界である事は間違いありません。大都市であれば大手不動産業者がありますから、毎年入れ替わりがあるのでしょうが、福島市ぐらいの規模の地方都市となると、ほぼ100%が地場の不動産業者です。また地場の不動産業者はそのほとんどが一人で業務を行っているというのが実情ですから、不動産業を志しても従業員として勤める場所が非常に限られています。不動産業の仕事は実力があれば一人で完結出来る仕事なので、従業員を抱えるリスクを取りたがらない経営者も多いのです。加えて言えば、話に聞いたところによると仮に社員を募集している会社でも昔の不動産業のイメージそのままの体育会系のようなスタンスの為、定着しないということもあるようです。不動産業は実力主義の部分が強いですから基本給も非常に低かったりします。

では私の時はどうだったのか、と言いますと私は非常に恵まれた形でこの業界に入りました。異業種が母体の会社の新規事業の立ち上げメンバーとしてこの仕事を始めることが出来た為です。入社した際には社長、上司、私の3人。社長はメインである異業種と兼任ですから実質動けるのは上司と私の2人だけ。会社のスタンスは拡大路線ですから実力をつけるにはこれ以上ない環境で揉まれた訳です。会社の期待値へ手を伸ばす姿はさながら東京のベンチャー起業のように刺激的な日々であったと思います。拡大路線でも人がいない為に忙しいという手探りのサイクルは加速度的に私の経験値を高めました。誇れることではありませんが、たくさんのトラブルも経験しました。(実はトラブルが一番成長出来るタイミングだと思います。)そんな怒涛の日々の中、1年後には店舗の不動産部門責任者となりました。僕らの仕事は常にトラブルと背中合わせな部分があります。部下が引くトラブルでも非常に鍛えられたと思います。

その後数年して独立する訳ですが、今、不動産業界では若い経営者だとしても、負い目なく自信を持って仕事が出来るのは勤めていた時の仕事の濃度が非常に濃かったからだと思います。例えば1年に10件の仕事をする人と、1年に50件の仕事をする人では単純計算で経験値に5倍の差が出ます。それが年々積み重なれな圧倒的な差となります。逆に言えば、1年に10件の仕事するキャリア10年の人に2年で追付けることになります。さらに不動産産業は法律が絡む業種であり、法律は日々更新されていきますから、対応能力でいっても最近の案件数をこなしている方が生きた実力がつきやすいのです。

私は前会社の社長にとても感謝しています。そしてとても尊敬しています。あの当時不動産業未経験の私に圧倒的な仕事と責任を与えて頂いた事、それはすなわち私を信じてくれたという事だと思います。常に笑顔で方向性を提示し、勇気を与えてくれるような存在。社長たる人物とは、と聞かれれば私は真っ先に前会社の社長の姿が浮かびます。仕事面ばかりでなく尊敬できる社長像というものを見せて頂いた環境も滅多に出会えるものではありません。私は本当に幸運です。

会社を去る日、社長は「頑張れよ。」と言ってくれました。客観的に見て私が抜ける事は組織的に大きなダメージであったと思いますが、それでも社長は笑顔で応援してくれたのです。人としての器の大きさを感じずにはいられませんでした。独立してからも前会社とは良い関係が続いています。私はいつか頂いた恩恵を返す事は出来るのだろうか、と考える時があります。そんな時はいつも私の今日の仕事が良いものであったかを振り返る事にしています。社長は私を前会社の卒業生だと言ってくれました。だからきっと卒業生の私が良い仕事をして社会に貢献している事を社長は最も望んでいるのだろうと思うのです。

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